2018年3月5日

日本における犬の歴史について

人間と犬は古くから親しい間柄だといわれますが、関係の始まりについて知っている方は少ないのではないでしょうか。

実は、人間と犬の歴史は太古の昔から始まっています。

ここでは、日本において犬がどのような役割を果たしてきたのかについてご紹介します。

人間と犬のかかわりは縄文時代から

日本犬が徘徊している様子 人間と犬とのかかわりは、縄文時代には始まったと言われています。

縄文時代の人間と犬の化石を分析した結果、同じものを食べていたということがわかりました。

さらに、犬が埋葬された形跡も残されており、この頃の犬は猟犬として人間に使役していたと考えられています。

犬が食用となっていた弥生時代

日本犬が自然の中にいる様子 縄文時代には狩猟をして生活していた日本人でしたが、弥生時代には農耕が始まりました。

そのため、犬は農地を守るための番犬として使用されるようになりました。

その一方で、人間にはタンパク源が必要であったため、食用にもなっていたようです。


犬が大切にされるようになった飛鳥時代

日本犬が自然の中で座っている様子 犬が人間の食料となっていた弥生時代からは一転し、飛鳥時代には犬が大切にされるようになりました。

675年には犬を食べることを禁じる通達が出されたほか、「御犬飼」という犬の専門家も現れました。

なお、聖徳太子の愛犬の名前は「雪丸」で、人の言葉を話せたと言い伝えられています。

平安時代には犬を飼うことがブームに

日本犬が伏せている様子 平安時代には、ペットとして犬を飼うことがブームになりました。

有名な「枕草子」や「源氏物語」にも宮廷で飼われている犬が登場します。

しかし、ネズミを捕ることができる猫は犬以上に大切にされており、猫が紐につながれている一方で犬は放し飼いされていたようです。

鎌倉時代・室町時代の「犬追物」

日本犬が伏せて舌を出している様子 鎌倉時代には、弓術の作法の一つである「犬追物」が始まりました。

これは、競技場の中に150匹の犬を投入し、規定時間内にいることができた犬の数を競うというものです。

なお、このとき矢が犬を貫いて殺してしまうことのないように「犬射引目(いぬうちひきめ)」と呼ばれる特殊な矢を使用していたそうです。

犬が権力の象徴となった安土桃山時代

日本犬がお座りをして遠くを見ている様子 安土桃山時代には、多くの戦国大名が権力の象徴として犬を飼っていました。

多くの犬は可愛がられていたようですが、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉だけは「虎の餌にする」という理由で大量の犬を集めていたようです。

近隣に住む村人たちにも犬を差し出すように命令したといわれています。

「生類憐みの令」が制定された江戸時代

草むらの中の日本犬 江戸時代には、外国の犬種が持ち込まれるようになりました。

また、犬将軍という異名をもつ徳川綱吉によって「生類憐みの令」という法令が出されました。

綱吉は犬を特に愛したといわれていますが、この法令は虫類や貝類、魚類まで対象にしていたため「天下の悪法」とも呼ばれています。

明治時代以降は犬がペットとして普及

日本犬が自然の中で何かを見ている様子 江戸時代には鎖国をして外国との接触を断っていた日本でしたが、開国してからは外国の犬たちが一気に流入しました。

そして、全国的に犬がペットとして普及していきました。大正時代にはドッグショーも盛んに行われるようになり、多くの犬が出展されました。

本格的に犬がブームとなったのは、昭和に入ってからのことです。

多くの愛犬団体が設立され、秋田犬をはじめとした日本犬は天然記念物として指定されました。

戦後もペットブームは続き、現在では犬と猫の合計飼育数が人間の子どもの数を上回るまでになっています。

まとめ

日本犬が二匹並んでいる様子 ご紹介の通り、人間と犬は長い年月を共に過ごしてきました。

そして、これから先も生活を共にしていくことでしょう。

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文:Qpet編集部
犬の病気やしつけ、犬との暮らしに役立つハウツー情報などをお伝えしていきます。


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